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1985年結成されたガンズ・アンド・ローゼス(以下ガンズ)はデビュー前から音楽雑誌の表紙になるくらい有名でデビュー後はそのまま一気の人気の頂点に達し押しも押されぬ一流バンドとなります。

スラッシュというギターヒーロー、唯一無二のカリスマヴォーカルのアクセル・ローズを擁したガンズですが、曲のメインライターはもうひとりのギタリスト、イジー・ストラドリンでした。

 

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ハードロック界のキース・リチャーズ、イジー・ストラドリン

元々いわゆるギターヒーロー的な憧れは最初から無かったようで、彼はバンドには必ずギターヒーロー的なギタリストを置いています。

しかし、クールにバッキングを決め、あえて目立ちにいかない「ハードロック界のキース・リチャーズ」と言われたイジーのスタイルに憧れるギタリストも少なくありません。

今回はそんなイジー・ストラドリンについての記事です。

ガンズにおけるイジーのプレイ

ガンズ・アンド・ローゼスの静かなる男というイメージのイジーですが、実は幼い頃は街一番の悪ガキで、まだ純粋無垢だったアクセル・ローズをバンドの道へ引きずりみハリウッドに連れてきた張本人です。

ある意味イジーがいなければ現在のアクセル・ローズ、しいてはガンズ・アンド・ローゼス無かったと言っていいでしょう。

イジーはガンズの1stアルバム「Appetite for Destruction」とミニアルバム「GN’R Lies」、そして「Use Your Illusion I」「Use Your Illusion II」まで参加しています。

ライブではフルアコを使用しコードカッティングを多く含ませたR&Rに根ざしたプレイを聴く事ができますが、アルバムだとスラッシュの音が多くダビングされているため、彼のギターはあまり聴こえません。

ところが、彼のプレイはメンバーのツボであり、重要だったようで彼が脱退した後後任のギタリストとして呼ばれたギルビー・クラークに「イジーはそういうプレイはしていなかった」とレコードでは聴こえないようなイジーのプレイを要求され彼を困らせたそうです。

ガンズ脱退後のイジーのプレイ

「Use Your Illusion」のツアー前にイジーはガンズ・アンド・ローゼスを脱退します。

その後真偽は不明ですが公認会計士の資格を取る勉強を始めたとの噂が飛びますが、「Izzy Stradlin And The Ju Ju Hounds(イジー・ストラドリン・アンド・ジュジュハウンズ)」を結成、アルバムをリリース、その後ソロ名義でマイペースに活動しています。

軽快なアメリカンR&Rナンバーだけでなくレゲエやカントリーの要素を持ち合わさえた楽曲もありイジーの音楽への造詣の深さが伺えます。

ギタープレイは、若干トレブリーでレイドバック気味な音のギターで、ガンズ時代は聴く事が無かったギターソロも聴くことが出来ます。

元々ガンズではメインソングライターをしていただけあって、どの曲もキャッチーなのも特徴です。

しかし、彼はガンズ時代の生活に嫌気がさしたのか本格的なツアーする事はThe Ju Ju Hounds以降ほとんどありません。

ガンズの再結成への不参加

ガンズ・アンド・ローゼスは最初にドラムのスティーブン・アドラーが、次にギターのイジー、さらにスラッシュ、ベースのダフ・マッケイガンと次々にメンバーが抜けていき最終的にはヴォーカルのアクセル・ローズだけのバンドとなります。

長年そんな状態で活動していたのですが、2014年、様々な確執を超えてオリジナルメンバーであるギターのスラッシュとダフの復帰し、さらにライブによってはスティーブン・アドラーも演奏に加わったりしたのですが、アクセルと一緒にガンズ・アンド・ローゼスを作ったイジー・ストラドリンは何も参加しませんでした。

実はイジーがいるガンズ・アンド・ローゼスが来日した事は一度しかなく、イジーが参加したガンズを見たい日本のファンの落胆の色は隠せませんでした。

しかし、そういったお祭り騒ぎから距離を置くところがイジーがイジーたる所以なのかも知れません。

スラッシュが最初に入手したレスポールギターはギブソンではなかった

スラッシュはGuns N’Rose(ガンズ・アンド・ローゼス以下ガンズ)のギタリストであり、Slash’s SnakepitやVelvet Revolverでも活躍しました。

あの長い髪とトレードマークの帽子はずっと変わっていないと同時に彼のギタースタイルはいい意味で変化していません。

ペンタトニックを主体としたギターソロや、グルーヴィーなリズム、それでいながらメロウなプレイもガンズ時代から変わりません。

基本的な音作りは「レスポール+マーシャル」というロックの王道中の王道です。

LAのギタリストがレスポールに持ち替えた

ガンズのデビュー前は所謂「LAメタル」と呼ばれたロサンゼルスを中心とした西海岸出身のヘヴィメタルバンドが全盛期でした。

どのギタリストもロック式トレモロを付けたヘイマーやシャーベルのギターを使い、コンテナのようなラック式エフェクターを使用し、さらにアンプは中音を無くしたドンシャリサウンド、そしてソロプレイではアーミングやタッピングを多用していました。

またドラムはお約束のように2バスでリズムはキッチリカッチリの世界でした。

しかし、ロサンゼルスのバンドにもかかわらず、ガンズはそういったスタイルとは全く違い、トレモロの付いていないレスポールでマーシャル直結の音でペンタトニックを主体としたオーソロックなソロに加えベースのダフやドラムのスティーブンが繰り出すパンキッシュなリズムが合わさったバンドでした。

しかし、ガンズが売れるやいなや、流行に敏感なLAのギタリストはみんなレスポールに持ち替えマーシャルに直結したプレイに変わったそうです。

最初のレスポールはギブソンでは無かった

ガンズのパンキッシュでありながら王道ロックなサウンドは衝撃的で、スラッシュがレスポールを弾く姿はアイコン化され、ギタリストはギブソンのレスポールを買い求め売上が落ちていたギブソンを救うきっかけまでになりました。

しかし、ガンズが1stアルバム「Appetite for Destruction」を出した当初スラッシュが使っていたレスポールはギブソン製ではありませんでした。

当時彼が使っていたレスポールはロサンゼルスのギタービルダー、クリス・デリッグ氏(Kris Derrig)が製作したもので、「Appetite for Destruction」のレコーディング中に当時のマネージャーがスラッシュに買い与えたもので、あのアルバムで聴けるレスポールの音は全てこのクリス・デリッグ製のレスポールです。

しかし、クリス・デリッグ氏は1987年5月に33歳の若さで亡くなってしまいます。

「Appetite for Destruction」が発売されたのは1987年の7月なので、自分が作ったギターを使うギタリストが世界を取るところを見る事無くこの世を去ってしまったものと思われます。

その後のスラッシュのレスポール

その後ギブソンからスラッシュモデルとしてレスポールが何種類か出されるていますが、その中の「Slash Appetite for Destruction Les Paul」というギターは名前が指す通り、スラッシュが使用していたクリス・デリッグ製のレスポールをコピーしたものです。

レスポールのコピーモデルをさらにギブソンがコピーするなんてクリス・デリッグ本人も思いもよらなかったでしょう。

クリス・デリッグ氏の早すぎる死が惜しまれます。

エディヴァンヘイレンとフランケンストラトギター

1978年にヴァンヘイレンのギタリストとしてデビューしたエディ・ヴァンヘイレンはタッピングを最初に行ったり、ロック式トレモロの元祖フロイド・ローズをいち早く取り付けたりとデビュー当時は革新的なギタリストとして有名になりました。

そのエディが最初期に使っていた「フランケンストラト」、あるいは「フランケンギター」またはストレートに「フランケンシュタイン」と呼ばれるギターがあります。

このストラトは後に80年代のヘヴィメタルシーンに大きな影響を残しました。

フランケンストラト

フランケンストラトはシャーベルのギターをエディが改造したものです。
主な改造点ですが

1.ペイント

最初は白地に黒のストライプが入っていました。

しかし、後程上から赤とそれ以前の塗装によるストライプへ変更されます。

これら全てエディ自身がペイントしたそうです。

2.フレット・ピックガード

リフレットされており、フレット打ちもエディ自身で行っており、ピックガードも手作りだそうです。

ただしピックガードは赤い塗装に変えた時にヴォリュームノブ付近を残し外されます。

3.ピックアップ

元々あったピックアップは全て外しリアをギブソンのES-335に積まれていたP.A.Fと呼ばれるヴィンテージピックアップを載せています。

また、コントロール系はヴォリュームだけに変更されています。

4.ブリッジ

元々あったトレモロユニットを外し、またガレージでフロイド・ローズが製作していたロック式トレモロの初期のものに変更しています。

ソロイスト

ヴァンヘレンのヒットと共にこの「フランケンストラト」はアイコン化し、シャーベルやジャクソン、クレイマーから白ボディんの1ハム1ヴォリューム、ロック式トレモロ仕様のストラト、所謂「ソロイスト」と呼ばれるギターが数多く販売されヒット商品となります。

しかし、エディ自身はそれを「パクられた」と思い、フランケンストラトの色を赤くしたとの話があります。

フロイド・ローズとの出会い

今では普通にあるロック式トレモロはフロイド・ローズがガレージで手作りして作られたものが最初です。

エディ曰くフロイド・ローズとはツアー中に彼が作ったロック式トレモロをエディに試してくれと持ってきた事が最初の出会いだそうです。

しかし、最初に取り付けたものは精度が悪くかなりひどかったそうです。

それを頑丈にさせ、バイオリンについていたファインチューナーを取り付けるアイディアはエディ自身から出したとエディは語っています。

今あるフロイド・ローズはエディがいなければ世に出ていなかったかも知れません。

フランケンストラトの今

ヴァンヘイレンの最初期から長年酷使されてきたフランケンストラトはボロボロになってしまい、ミュージックマンからエディのシグネイチャーモデルが出る頃から使用しなくなりました。

今はロック史に貢献したギターとしてスミソニアン博物館にフランケンストラトのレプリカが収められているそうです。

ジミー・ペイジと言えばレス・ポール?

今回は1968年にデビュ-し今でも大きな影響力を持つバンド、Led Zeppelin(レッドツェッペリン以下Zep)のギタリスト権プロデューサーであるジミー・ペイジとテレキャスターの逸話をご紹介します。

ジミー・ペイジが使用しているギターと言えばレス・ポールやダブルネックのSGのイメージも持つ人が多いと思われます。

事実、おそらくZep時代にライブで一番使用したのはレス・ポールなのは間違い無いですし、ライブのハイライトの一つ「Stairway to Heaven(邦題;天国への階段)」を演奏する時にダブルネックのギターを使用するので、この二つの印象が強いのも当然です。

しかし、彼はZepを始めた当初はライブ・レコーディングともテレキャスターを使用しており、Zepの1stアルバム「Led Zeppelin」では全ての曲、2ndアルバム「Led Zeppelin II」では半分の曲で使用されています。

ですので、初期の頃のZepはテレキャスターがメインギターだったと言えます。

ジェフ・ベックからもらったテレキャスター

この初期にメインで使用されていたテレキャスターですが、実はジェフ・ベックからもらったものです。

エリック・クラプトンが在籍したバンド、ヤードバーズからクラプトンが脱退する時後任のギタリストとして既にツアーバンドやスタジオミュージシャンの経験があるジミー・ペイジに打診があったそうです。

しかし当時ジミー・ペイジは美術学校へ通っていたため、その代り古くからの友人でギタリスト仲間のジェフ・ベックを紹介します。

プロとしてのキャリアは無かったェフ・ベックでしたが既に卓越した技術を持っていたためヤードバースの加入が決まりました。

そのヤードバーズがアメリカツアーに行く日の朝ジェフ・ベックはジミー・ペイジの家を訪ねてきて自分のテレキャスターをジミー・ペイジに手渡します。

曰く「これは今日から君のギターだよ」

その後ジミー・ペイジはそのテレキャスターに自分でペイントを施しメインギターとして使用します。

テレキャスターからレス・ポールへの変更

では何故テレキャスターからレス・ポールへ持ち替えたのでしょうか?

本人のインタビューによると「テレキャスターは素晴らしい音だが、その音を出すために永遠の戦いをしなくてはいけなかった。

しかし、レス・ポールだと同じような音を楽に出す事が出来たから」と答えています。

テレキャスターとレスポールは似ても似つかない音なので、この答えに疑問を持つ方も多くいると思いますが、実際に1969年の演奏を聴くと彼のテレキャスタ-の音の太さが半端なく確かに古いレスポールに近い音がする事がわかります。

このテレキャスターは1959年頃作られたもので、現在のテレキャスターに比べ非常に太い音が出ます。

さらにおそらくこの頃のジミー・ペイジはロジャーメイヤーが製作したファズを使っている可能性が高く、それがさらに音を太くしてるのだと推測されます。

ただ、テレキャスターはちゃんと音を鳴らすのは楽ではないので、途中でレス・ポールへ変更したのだと思います。

その後のテレキャスター

レス・ポールがメインになった後でも時々レコーディングでは使われ、本人は「Stairway to Heavenのギターソロはこれでレコーディングした」と証言しています。

しかし、このテレキャスターは21フレットまでしか無いのですが、Stairway to Heavenのソロの最後は22フレットをチョーキングした音になっています。

ジミー・ペイジにレスポールを譲ったイーグルスのギタリスト、ジョー・ウォルシュはその事を上げ「あのソロは自分が譲ったレスポールだと思う」と言っていますが、おそらくテレキャスターのチューニングを半音上げて使ったのではないと自分は推測しています。

そんなZepの歴史を築いたテレキャスターですが、その後ジミー・ペイジの知り合いがリフニッシュし、音が変わってしまいネック以外は捨てたそうです。

なんだか残念です。

スティーブヴァイがスタンダード化したエレキギターの機能と構造

フランク・ザッパの門下生であり、現在もギターインストメンタルの第一人者と認められているスティーブ・ヴァイですが、現在のエレキギターのスタンダード化した構造の中には彼のアイディアがいくつかある事はあまり知られていません。

今回は彼がスタンダード化させたエレキギターの構造やアイディアについての記事です。

7弦エレキギター

通常ギターは6本の弦を持ち、最低音からE-A-D-G-B-Eというチューニングになっていますが、これに4度下のB弦を加えてたものが7弦ギターです。

この7弦ギターをシグネイチャーモデルとして販売したのは80年代後半でした。

彼以前にも7弦ギターは存在(ジャズではバッキー ピザレリ、ジョン・ピザレリが使用している事で有名)していますが、市販された量産型のソリッドボディギターという意味では彼が最初です。

また、彼自身も「7弦のギターという意味では自分は最初ではない」とギターマガジンのインタビューで答えています。

こうして7弦ギターが市場に出た事で90年代のKornやLimp Bizkitのようなモデンヘヴィネス系のバンドを輩出する流れを作ったと言えるかも知れません。

ロック式トレモロの取り付けの際に行うボディのザクリ

スティーブ・ヴァイは自分のギターに初期のフロイトローズ(ロック式トレモロを作りだした最初のメーカー)を取り付けていましたが、ストラトキャスターのトレモロユニットより高さがあり、ミュートしずらかったそうです。

そこで、彼はボディ上部にウレタンで手を置く台を取り付けてフロイトローズの高さでもミュートしやすくしていました。

1985年にアイバニーズから彼のシグネイチャーモデルが出る際、この高さの問題を解決するために、フロイトローズの下のボディを削って低い位置にするようにしました。

また、アームアップもしやすいように後ろ側はボディエンドに向って角度が付くように削られています。

今では当たり前の仕様ですが、この取り付け方を最初に行い市販されたギターはスティーブ・ヴァイのシグネイチャーモデルが最初です。

ピックアップがH-S-Hのギターにおけるハーフポジションでのタップ処理

ハムバッカーとシングルのギターでハ-フポジションにした場合、ハムバッカーの音が大きすぎてあまりハーフポジションの意味がありません。

そこでスティーブ・ヴァイはシングルとハムバッカーのピックアップでハーフポジションにした場合、ハムバッカー側のピックアップを自動でコイルタップしシングル化するように考え、彼のシグネイチャーモデルにこの方式をH-S-Hのレイアウトに取り入れました。

これも今では珍しくない仕様ですが、スティ-ブ・ヴァイによるアイディアです。

彼のシグネイチャーモデルをさらに使いやすくしたアイバニーズのRGシリーズは今でも定番商品として販売しています。

他にもあるギターのアイディア

上記以外にもハイポジションの高音弦のみスキャロップ化(これはビリー・シーンが自分のベースに施した処理を見てギターに取り入れた。その部分もきちんと証言している)やモンキーグリップ等のアイディアも製品化されています。

自分の音楽に妥協しない為にギターのアイディアを数多く出しているスティーブ・ヴァイはエレキギターの構造の発展に貢献したギタリストという観点で言えばレス・ポールの次に重要な人だと思います。

ダイムバック・ダレルとそのギタースタイルについて

オルタナ全盛期にメタルバンドとして現れたバンドPantera(パンテラ)のギタリスト、ダイムバック・ダレルは所謂モデンヘヴィネスの第一人者でしたが、2004年12月8日にライブ中に銃で撃たれて亡くなってしまいました。

ファンが「あなたは神だ」と伝えた時に「違う、兄弟だ」と返した逸話は有名ですが、友人が多く心優しき人とも知られています。

今回はそんなダイムバック・ダレルのギタースタイルについてです。

パンテラのデビュー時の状況

90年代ニルバーナを筆頭とするオルタナティブロック勢が盛り上がりを見せるとともに80年代猛威を振るっていたヘヴィメタルバンドはどれも売れなくなってしまいました。

数多くのヘヴィメタルバンドはメンバーチェンジや活動休止や解散、そうでないバンドは路線変更を行いオルタナバンドぽくなった挙句さらに売れなくなったりと散々な状態でした。

例を挙げればエクストリームはオルタナサウンドのアルバムを出してり、アイアンメイデンはヴォーカルを変えたりナイトレンジャーに至ってはギタリスト以外のメンバーを全て変更したりしましたが、どれも状況をさらに悪くするだけでした。

パンテラが売れた理由

しかし、そんな中メジャーデビューしたダイムバック・ダレルを擁するパンテラはヘヴィメタルバンドにも関わらず人気を博します。

その理由はいくつかあるのですが、大きな理由のひとつに独特のグルーヴ感がある事が大きいと思います。

それまでのヘヴィメタルバンドはクリックに合わせた綺麗なリズムでグルーヴとは程遠いリズムでしたが、パンテラは南部特有のグルーヴ感が独特のヘヴィネス感を生み出しそれまでのメタルとは明らかに違いました。

パンテラのグルーヴ感はギタリストであるダイムバック・ダレルと実兄であるドラムのヴィニー・ポールが大きく貢献しています。

真空管を嫌いトランジタアンプを使用

ダイムバック・ダレルはその音作りにおいていくつか普通のギタリストとは違うやり方を行っていました。

その大きなひとつがアンプはソリッドステート、つまりトランジスタアンプの使用です。

インタビューでも真空管のアンプは嫌いと公言していましたが、おそらく彼のザックリした音はトランジスタのアンプの方が綺麗に出しやすかったのだと思います。

しかし彼の死後トランジスタから真空管アンプに移行しようとしていた事がわかりました。

真空管アンプでのダレルの音を聴いてみたかったです。

ノイズゲートの使い方

パンテラのリフでピタっと音が止まる部分がひじょうに綺麗ですが、あれはノイズゲートを思いっきりかけている事が大きいです。

ノイズゲートは単純にノイズを減らすために使うもので、ある一定の音量より音が下がると全体の音量をゼロにするものです。

彼はこれを逆手に取ってノイズゲートのかかるポイントを思いっきり上げる事により独特の音の切れ方をさせるように使っていました。

また、この音の切れがそれまでにない独特のグルーヴ感を生み出しているひとつの要因だと思います。

この使い方もアンプが真空管のアンプよりトランジスタの方がしっくり来たのだと思われます。

その他の機材やセッティング

エフェクターは上に挙げたノイズゲート以外はディストーションとワウ、そしてワーミーを使用していました。

ギターはDEANのMLをメインに使用しトレードマークになっていました。

またチューニングは1音半下げより若干低いものになっており、独特のヘヴィ感をもたらせています。

初期のジョン・フルシアンテとレッド・ホット・チリ・ペッパーズ

ジョン・フルシアンテがレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下チリ・ペッパーズ)から脱退してもうすぐ10年が経ちます(この記事は2018年に書かれています)。

後任のギタリスト、ジョシュ・クリングホッファーもすっかりレッチリになじんで新しい、若い世代のファンを獲得していますが、ジョン・フルシアンテ時代のチリ・ペッパーズが懐かしく思う時もあります。

今回はそんなジョン・フルシアンテがチリ・ペッパーズに加入し発表された「Mother’s Milk」「Blood Sugar Sex Magik」、その後脱退し再度加入し大ヒットした「Californication」のアルバムにおけるプレイを簡単に紹介します。

チリ・ペッパーズへの加入は最悪の出来事

ジョン・フルシアンテは15歳の頃レッド・ホット・チリ・ペッパーズに出会い熱狂的なファンとなります。

レッチリのライブを見た後当時のガールフレンドに「もしレッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーになれたらどうする?」と問いかけられたそうです。

それに対し「そんな事は自分にとって最悪な出来事だ。こんな素晴らしくハッピーなバンドのパーティに参加できなくなる」との趣旨の返答をしたそうですが、その3年後、前任ギタリスト、ヒレル・スロヴァクの死により加入します。

Mother’s Milk(1989年)

最初に参加したアルバム「Mother’s Milk(当時の邦題:母乳)」ではヒレルの音を継承しながらも、よりソリッドな音でプレイしています

が、このアルバムのプロデューサ-とは意見が合わずあまり思い通りにはプレイできなかったそうです。

このプロデューサ-は当時はやっていたLAメタルの影響があるのかイマイチファンクのノリがわかっていなかったのか最終的には全てのメンバーに嫌われてしまいます。

しかし、スティービ-・ワンダーのカバー「Higher Ground」や前任ギタリストのヒレルに捧げた「Knock Me Down」がヒットし当時のバンドとしては最大のヒットアルバムになります。

特に「Knock Me Down」はそれまでのチリ・ペッパーズには無かったメランコリックな曲で現在のスタイルに通じるものがあります。

Blood Sugar Sex Magik(1991年)

前作とは打って変わってファンキーでいながら従来のファンクギターとは違うジョン・フルシアンテらしいプレイが光るアルバムで、チリ・ペッパーズがメジャーアーティスト入りしたアルバムです。

30曲以上作曲し絞り込まれた楽曲は素晴らしく特にGive It Away、Suck My Kiss、The Power of Equality 、Under the Bridgeは今でも彼らの代表曲となっています。

しかし、このアルバムリリース後ジョンは精神的に不安定になっていきます。

象徴的な出来事はアメリカのテレビでUnder the Bridgeを演奏した時に起こります。

このテレビ出演のオファーはヴォーカルのアンソニーは大変喜び、友人や親戚に番組を見てくれるよう触れ回りわったそうです。

しかし、ジョンはイントロのアルペジオを全く違う音、違うキーで演奏し始めてしまいます。

YouTubeにも当時の演奏を見る事が出来ますが、この時のアンソニーの心情を想像すると心が痛みます。

結局ジョンの精神状態はさらに悪化していき1992年日本ツアー中に突如帰国、そのまま脱退してしまいます。

Californication(1999年)

ジョン脱退後、後任にデイブ・ナヴァロを迎えたチリ・ペッパーズは1995年に「One Hot Minute」をリリースします。

ジョンがいた頃に比べると硬い印象のあるこのアルバムは前作に比べると売上は落ちてしまい(それでもかなり売れています)デイブはこのアルバムで脱退してしまい、チリ・ペッパーズの活動が出来なってしまいました。

チリ・ペッパ-ズのベース、フリーはこの状況を打破するためにジョン・フルシアンテの復帰をボーカルのアンソニーに提案、アンソニーもジョンの復帰を望みます。

しかし、その頃ジョンは薬物中毒に陥ってもっている機材全てを薬代に売り飛ばしている状態で復帰が決まった後LAのギターセンターで1964年のストラトキャスターをアンソニ-がジョンに買いあたえています。

そうして曲作りのためのリハーサルを行うのですが、機材売り飛ばしてしまってからジョンはギターを一切プレイしていなかったため、以前のようにプレイできませんでした。

しかし、ある意味それを生かしてシンプルなプレイで映える曲を数多く作り出し、ついに1999年アルバム「Californication」としてリリースします。

ここでのジョンのプレイはシンプルでありながらアイディア溢れるもので、極端な事を言うとギターアレンジのアイディアの宝庫のようなものになっています。

今でもこのアルバムがチリ・ペッパーズの最高傑作と言う人も多いようです。

その後ジョン・フルシアンテは「By the Way」「Stadium Arcadium」に参加後脱退してしまいますが、前回と違って健全で円満な脱退を行っています。

今はソロワークを始め数多くのアーティストとコラボや客演を行っていますが、またレッド・ホット・チリ・ペッパーズの一員として演奏してほしいものです。

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